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教室長挨拶

 「おススメの本はありますか?」と、時々聞かれます。

 質問は大抵、保護者様から頂きます。皆様どうやら、お子様が小さい内から沢山本を読ませたいと思っていらっしゃるようです。それは大変結構なことでして、私自身も学生時代、本の虫だとか文学少年だとかいうほどでは無いにしても、人並み程度には読書をしてきたのではないかと思います。そのおかげなのかどうなのか、学生の頃は理系でありながら最も点を取れる教科は現代文という、そういった状況でした。ですから小さい内から多くの文章に触れるという経験の尊さを多少なりとも理解しているつもりです。

 さて、冒頭の質問をもらった際、個人的には「好きな本を選んでみては?それが読書の醍醐味ですよ。」と言いたくなるのですが、その気持ちをぐっと押さえ、毎度のように紹介している作品があります。ドイツの児童文学作家であるミヒャエル・エンデ著の「モモ」という作品なのですが、ご存知でしょうか。30歳にもなっておススメする本が児童文学?と思われそうで恐縮なのですが、それでもこの作品は私にとって特別な存在なのです。私がこの作品をはじめて読んだのは確かに小学6年生の頃ですが、児童文学と侮ることなかれ。ご家族皆様で読んでいただける作品であると確信しています。

 まだ読まれたことのない方もいるでしょうから詳しくは語りませんが、この作品のメインテーマとは「時間」です。作品中には「灰色の男」なる存在が登場し、人類皆平等に与えられているはずの時間を知らず知らずのうちに盗んでいく・・・。といったあらすじの、所謂ファンタジー作品です。現代社会に生きる大人が読んでみても、というよりむしろ、現代社会に生きる大人こそ、この作品から何やら教訓じみたものを感じ取れるかもしれません。

 しかし、私はここで「モモ」という作品のテーマはああだこうだ・・・だとか、実はこの作者はこういうつもりで云々・・・等といった「考察」をお披露目するつもりは露ほどもありません。重要なのは、なぜこの作品が私にとって特別なのか?ということです。

 実はこの作品は、私が両親に対して初めて「読んでみたいから図書館に連れて行ってくれ」とお願いした、そのきっかけの作品なのです。

 小学生時の私は、自分でいうのもなんですがそこそこ勉強が出来ました。小学校5年生までは公文式(他所の塾さんの名前を出してすみません)に通っているだけでテストは毎回100点で、宿題もしないのにテストの点は良かったから学校の先生には嫌われていたのではないかと思いますが、ともかく自分が相当賢い、「天才だ!」と信じて疑っていませんでした。

 そんな私でしたが、中学受験をするために、6年生に上がるタイミングで地元の有名な進学塾へと移ることになりました。公文(度々すみません)を辞める際も、「授業料はいらないから残ってくれ」等という引き留めにも遭い、いよいよ自尊心は青天井です。あれこそまさに”天狗”の状態だったと言えるでしょう。そんな私ですが、進学塾へと移ってすぐに、自分の考えの甘さを思い知ることとなります。

 当時私は、県外の私立中高一貫校を第一志望としていました。かなりの難関であるとは聞いていましたが、神をも恐れぬ”天狗”であった私の中に「不可能」の文字はありません。当然余裕で合格できるものと思いながら、初めて受けた模擬試験の結果は無情にもE判定でした。

 C判定でもD判定ですらもなくE判定。合格圏でも可能圏でも努力圏ですらなく、「再考圏」と書かれた結果帳票を見て、自分の中で自尊心にヒビが入る音がハッキリと聞こえました。と同時に、私は自分の生きていた世界の狭さを自覚しました。世の中には自分より上の人間が山ほどおり、”天狗”だと思っていた自分は実は井の中の”蛙”だったことを思い知ったのです。そして、目の前で授業をしている先生は、自分が解けない問題をスラスラと解いている(当たり前ですが)ことに気づきました。鳥の雛が、初めて見た生き物を親と思う刷り込み現象のごとく、初めて出会った「自分より勉強が出来る目の前の先生」を、私は心から尊敬しました。

 その先生は時々、授業中に本を紹介してくれました。そのうちの一冊が「モモ」だったのですが、幼い私はどうしてもその「モモ」を読んでみたくなったのです。「この先生が薦める本だから読めば頭が良くなるはず(?)」という訳の分からないことを考え、翌日すぐに学校の図書館へと向かいますが、見つかりません。

 

そうして帰宅後、母に相談したわけです。

「先生が言ってた”モモ”読みたかったんやけど、学校にないから図書館連れてってくれん?」

 この出来事が一体、その後の私の人生にどのような影響を与えたのでしょうか?

 小学生にとって、世界とは「家」と「小学校」です。私も、自分の生きていた「小学校」が全てだと思っていました。そこで一番になれば世界で一番偉いと思いますし、学校の図書館に無いものは「この世界に存在しないもの」なのです。

 しかし、私はそれが誤りなのだと知り、自分から進んで外の世界へと飛び込んでいきました。ただ単に地元の市立図書館へ行ったというだけの話ですが、当時の私にとってはそれはそれは大きな冒険であり、それによって確実に自分の世界は広がったのです。

 歳を重ね、色々な場所を訪れ、様々な人と出会い、数々の経験をしました。その度、自分のまだ知らない世界が無限に広がっているのだと実感し、そこに不思議なほど魅力を感じるのです。新たなものに触れることこそが自分にとっての生きがいなんだと、今は信じています。

 繰り返しになりますが、ほとんどの学生にとっての世界とは「家」と「学校」です。大きな変化がなく、毎日毎日同じことの繰り返しのように思えるかもしれません。でも、たまに行く遠足や修学旅行では、新しい世界に触れられて刺激的ではありませんか?未知のものに出会うことで世界が広がる感覚を、皆さんにはもっと大切にして欲しいと願ってやみません。

 それが読書であろうと、部活動であろうと、友人との触れ合いであろうと構いません。学ぶこともその1つです。偏差値を上げるだとかそういった次元の話ではなく、新たな問題に出会う、新たな知識に触れる、そういう経験を通して、自分自身の世界をもっと広げませんか。せっかく学ぶならね。

 さて、最後になりますが、今一番言いたいことを記しておこうと思います。

 この文章を書いている3月3日は、実はちょうど藍住校の開校記念日です。コロナ禍真っただ中に独立・開校しハラハラしながら過ごしてきましたが、本日で無事に、丸4年を迎えることが出来ました。

 受験の世界は十年一日と言われるほど、変化の少ない世界とされています。しかし、この4年間で通っていただいた生徒達にはいつもいつも新たな経験をさせてもらっています。信じられないような得点アップや驚きの大逆転合格。中でも印象的なのは、大学入試の面接練習で学校の先生を10人以上渡り歩き、最終的には校長先生にまで面談練習してもらったというエピソードです。「そこまでするか!?」と度肝を抜かれながらも非常に感心したことを覚えています。入試前には「そこまでした子は全受験生の中で君だけだろうから確実に受かるでしょ」と話していましたが、もちろん結果は合格でした。素晴らしい!

 私の常識の中には今までなかったような行動を見せてくれる皆さんのおかげで、十年一日のこの世界でも日々新鮮な気持ちで過ごすことが出来ています。本当にありがとうございます。そういった皆さんであれば、受験を終え社会へと飛び立った後も、相変わらず新たな世界を切り拓いていってくれるのだろうと思います。

 そして、まだ学生だという皆さんは、是非新たな世界へ飛び込む勇気を持ち、飛び込むことを楽しんでもらいたいと思います。分からないもの、知らないものに出会えば出会うほど楽しいのが人生。2ndHomeでそれを見つけてみるのも良いでしょう。

 

 あるいは、まず図書館へでも行き「モモ」を借りてみるというのはいかがでしょうか?

​2024年3月3日

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